
AIが出てきて不安、という相談が増えている
AIによって、様々な業界で激震が走っています。AIブームはこれまでも何度かあったのですが、これだけ社会に影響を与えたのは今回が初めてではないでしょうか。
過去のAIブームは、基本的には特定の業界内に閉じていました。しかし、今回は、技術革新もさることながら、インターネットとモバイルが一般社会に浸透したことや、ITリテラシーが低い人でも簡単に使えるようになったため、これだけの社会現象になったと思います。ユーザーが増えればその分ビジネスとして収益化し易くなるという「ネットワークの経済性」も成立しており、これからもますますAIは社会基盤の一つとして我々の社会に浸透していくものと思われます。
それに伴い、「仕事を奪われる!」「どうすれば良い?」というご相談が最近とみに増えてきました。人ごとではなく私どもがいる人材業界も、AIにより終わるとも言われています。
私たちはこのAI時代にどう生きれば良いのか。今回はこのテーマに対して私の考えを述べていきたいと思います。
AIの仕組み
実は私は、いまから約20年前に、いまでいうAIプロダクトの開発に従事した経験があります。当時はAIではなくユビキタス、という言葉が使われていましたが、作っていたのはレコメンデーション系のAIに近いものでした。
データベースは珍しくネットワーク型。データは基本的にエンティティ(実データ)とリレーション(実データ同士を結びつける関連付けのためのデータ)の2種類のみ。インプットデータと既存データのリレーションが存在しなければリレーションデータを新規に生成し、リレーションがあればリレーションスコアをカウントアップして重み付けをしていくというもの。リレーションと重み付けで網目状となった行動履歴データセットをもとに、ユーザーの行動情報に対して旅程のレコメンデーションや食事のレコメンデーションをPDA(まだスマホがなかった時代でした)に対してプッシュ通知していく、というものでした。
レコメンデーションの根拠が分かり辛い仕組みだったため、いまでいうディープラーニングに近かったのかなと思います。その仕組みにおける確からしさの判断は、リレーションに付与されたスコアの重み付けで行っていました。データ量が多いほどスコアに有意な差が出るようになり、レコメンデーションの確からしさが増していく仕組みでした。
時は過ぎて現代に至るわけですが、その頃に比べて、コンピューターの処理能力は格段に高くなり、AI技術の発展も文字通り日進月歩で著しい限りです。また、莫大な教師データとディープラーニング技術の発達により、より高度な分析やレコメンデーションができるようになってきています。
ただ、根本的な仕組みは大きくは変わっていないと思っており、確からしさが正義、という基本思想も変わっていないと思っています。現に、LLMが世の中に衝撃を与えたのは、インプットされた言語に対する理解力の高さと、アウトプットされた回答の精度の高さでした。確からしさという正義を追求した結果に対し、人は驚きを覚えたものと思っています。
確からしさを確かなものにするのは人
ここまで私は意図的に「確からしさ」という言葉を使ってきました。AIの精度は今後もますます高まり、確かなものに限りなく近づいていくでしょう。
しかし、AIそのものが確率論の上に成り立っている技術のため、アウトプットはどこまでいっても「確からしいもの」の域を出ることはありません。アウトプットが使えるかどうか、目的に適っているか、リスクはないかなどの判断は、どうしても使用者である人が行う必要があります。
もちろん、異なる特徴を持つAI同士を対話させることで精度を上げていくことは可能ですが、入力するプロンプトの精度を高めたり、AI同士を対話させる仕組みと仕方を考えるのは、やっぱり人になります。
そして、それらができるようになるためには、適切にAIに指示を与えることができる能力が必要となり、その完璧性を増すためには、AIがない状態でその仕事を完璧に完遂する人間の力が必要となってしまいます。
昨今、AIがあるから人間は考えなくてよくなる、ホワイトカラーは仕事がなくなる、という話が出ていますが、仕組みを作る人やアウトプットに責任を持つ人は必要となりますし、いままで以上に仕組みや原理を一人ひとりが理解しておく必要が出てきたと私は考えています。
そのため、AI時代にどう生きていけば良いか?の問いに対する回答としては、AIは確からしい答えを素早く持ってくる有能なパートナーと捉えつつ、完璧性を高めるための自己研鑽に励みましょう、となります。
では、具体的に何をすれば良いか、ですが、AI時代に必要とされる能力を端的に言えば、AIに適切な指示を出し、適切な回答をアウトプットさせる能力と、AIが出したアウトプットを完成版に持っていく能力と言えます。要件定義力、機能設計力、構造化設計力、品質管理力、そして、それらを支える技術力を広く同時並行で高めていって頂ければと思います。
が・・・なかなか無茶なことを言っているなと、書きながら思いました。技術力について言えば、もともとクラウドが広まったために、アプリとインフラの境目がなくなり、両方覚えないといけない時代になってきていました。そこに追い打ちをかけるように、上流やマネジメントまで行わないといけなくなったということです。そんな時代になったのかと戦慄すら覚えます。
しかし、昔むかしのそのまた昔、設計書を書く人とプログラムを書く人は分かれていました。さらに昔に遡れば、プログラムを紙に書く人と、それを機械が読み取れるようプログラムとしてシステムに打ち込むコーダーという人が分かれていたわけです。もっともっと前の時代は、パンチカードという紙にキーボードを使って穴を開けてプログラムを表現していた時代もあり、その時にはキーパンチャーという職種が存在していたのです。
いまでは基本、設計もプログラミングも1人の人が全て行いますよね。それに対して大変だとか、できるのかと懸念する人は、昔はいたかも知れませんが、いまはもうそれが当たり前すぎて疑問に思う人はいないと思います。
文明が進むほど職業は多能工化し、そのうちそれがスタンダードになっていきます。キーパンチャーやコーダーは時代のニーズに合わずに職種自体が無くなりましたが、それでも人は、新たな職種に活路を見出し、覚え、適応し、生き抜いてきています。
いまはテクノロジーの進化が早く、ついていくのが大変ですが、一方で、アセンブラ時代には考えないといけなかったメモリー上の動きをSEの方が考える必要が基本的にはなくなりましたし、ネットワーク処理を書く時も、ソケット通信のためのプロトコルを学ばなくてもよくなりました。新しいことをしなければならなくなったその一方で、何かしら、しなくても良くなったものがあるわけです。
しなくても良くなったことに対するメリットを享受しつつ、より高度なことに挑戦できることを楽しみにして、新たな時代に向かっていって頂ければと思います。私のようなおじさんには大変ですけどね笑


