
「何で勉強しないといけないの?」に答えるのは難しい
子供の頃に必ず誰しもが考えること。それは、「なぜ勉強をするのか」。これ、なかなか答えるのが難しい質問なんですよね。
将来役に立つから、いい学校に入るため、いい会社に入るため、騙されないように、頭がいい方が良いに決まってるでしょ、などなど、いろんなことを大人の人に回答して貰ったはずです。でも、いずれもなんだか釈然としなかったですよね。
そして、社会人になってからも、会社から、資格を取れ、勉強しろ、と言われ続けます。せっかく学校を卒業したのにまだ勉強が必要なのかと辟易している方もおられるでしょう。そういう意味では、「なぜ勉強をするのか」という問いは、子供だけのものではないのかも知れません。
目標があれば人は勉強する
しかし、学生より社会人の方が、実は自発的に勉強している方が多いと日々感じています。社会人になると仕事が始まり、仕事ができるようになるために、より良い仕事をするために、といった理由で、勉強を自発的にする方が増えてきます。また、将来こうなりたい、という目標を持つ方については、いまの仕事に関連することだけでなく、更に幅を広げて将来に役立つような勉強をされています。そして、将来こうなりたいと思う姿の抽象度が高いほど、幅広く勉強をされる傾向にあります。
これらの事実から、人は目標ができたら進んで勉強する、そうでなければ進んで勉強するのは難しい、という仮説が成り立つわけですが、子供は明確な目標を持ちづらいために、「なんで勉強しないといけないの?」と疑問を持つ割合が高くなるものと思われます。
目標がなくても勉強する人もいる
一方で、なんだかよく分からないけれども、やたらと勉強している人もいます。やりたいことがあるのかと聞いても特にあるわけではなく、それなのにたくさん勉強していて、しかも楽しそうな人たちが一定数いるのも事実です。
なんであの人はあんなに勉強しているんだろう?なんであんなに楽しそうなんだろう?そう思った経験は、誰しも1度や2度はあるのではないでしょうか。
なぜ勉強することがそんなに楽しいのか。その理由は人により様々だとは思いますが、一つには、何かを知ることで、より深く物事を見たり考えたりすることができ、それが楽しいからではないかと私は思います。
例えば、ワインをお店で飲んだとして、甘いワインが出てきた時に、なんだかすごく甘いけど美味しいよね、という感想もよいですが、少しワインについて学んでいる方であれば、これがあの地方の貴腐ワインなんだ!と嬉しくなり、幸福感がより高まります。
また、同じ映画でも、若い時に見た時の感想と、人生経験を積んだ上で見た時の感想は随分違ったりもします。私自身、ある大ヒットした、子供が主人公の映画を若い頃に見たときに、なんでこれがヒットしているのか分からない、と思ったのですが、子供が生まれた後にその映画を再び見たとき、なんて素晴らしい映画なんだとウルウルした経験があります。
それらのような特別なシチュエーションでなくても、その辺りを歩いている時に花が咲いていてミツバチが飛んでいる時、のどかでほっこりするな、という感想もあれば、ミツバチが巣を作るために蜜を集めていることや、そのミツバチの身体に花粉がついて受粉が起こることを知っていれば、ミツバチ頑張れ!と応援したくもなります。
もちろん、知ることによって得られるものは明るい話だけではありません。海外の戦争の話をニュースで見たとして、あの国、本当にやばいことしてるよね、と思うくらいならすぐに忘れてしまえるのですが、地政学を学んだことのある人は、なるほど、単なる威嚇や歴史に名を残したいからとかではなく、双方自国を守り発展させるためにやってるんだなということが分かり、なかなか戦争は終わらなさそうだし、やっぱり世界の紛争はこれからも無くならないんだなと、暗澹たる気持ちになったりもします。でも、だからこそ前を向いて明るく生きよう、という、日々一所懸命生きるための原動力が生まれたりもします。
なぜ勉強をするのか
もちろん、何かを知る前と知った後のどちらの状態の方が良いかは分かりません。知らなければ知らないで、特に何かの不足感を感じるわけではないため、人生に支障はありません。そういう方に、知ることがなんでそんなに楽しいの?と言われたら、全くもって返す言葉もありません。
でも、知りたいと思う人は、なんでもどんどん知りたいと思います。何がそのように知りたいという気持ちを掻き立てるのか。うまく言葉で表現することが難しいのですが、あえて言うなら、一度しかない人生をより楽しみたい、味わい尽くしたい、というのがあるのでないかと私は考えます。
物事を知ると、物事を解像度高く見ることができるようになります。そして、物事を深く知り、理解することにより、その作用として働く感情のベクトルが、物事を知らない時に比べてより強くなるものと思います。驚きや喜び、感動、後悔など、人間はいろいろな感情を感じるものですが、それがプラスになるにせよマイナスになるにせよ、知ることにより、それらが強化されるように感じます。
人はいつか必ずこの世を去るわけですが、誰しもこの世から去るその時には、自分の人生は充実したものだったと思いたいものです。そして、充実した人生とは何かといえば、たくさん笑い、たくさん泣き、一所懸命に生きたなと言えることではないでしょうか。
そう考えると、感情のベクトルがより強くなるという体験をすればするほど、充実した人生を送っていると言えるのではないか。そういったことを無意識のうちに人は感じ、知りたいという欲求に駆られるのではないかと思いました。
なぜ勉強をするのか。それは、究極的には、人生を豊かにし、自分の人生を味わい尽くすためと私は考えます。私も人生を思いっきり楽しみたいので、これからも、知らなかったことをどんどん学んでいきたいと思います。


