COLUMN
コラム:転職の技術
第811章
2017/09/08

一点の曇りもなく

— 不惑の40歳を不惑で迎えるために —

三十にして立つ、四十にして惑はず

吾十有五にして学に志す
三十にして立つ
四十にして惑はず
五十にして天命を知る
六十にして耳順ふ
七十にして心の欲する所に従へども、矩を踰えず

論語の中でもトップクラスに有名な言葉ですが、この言葉を小学生の頃に聞いてから、少なくともこれに負けないくらいのスピードで成長をしていきたいと思ったものです。

そして気付けば私ももう40歳、日常において迷うことや不安に思うことはもちろんありますが、こと仕事に関していえば、幸運にも天職を見つけることができ、辛うじて惑わずの状態までたどり着けたかなと思っています。

よく、転職に適した時期はいつですかと聞かれるのですが、仕事を任されこれからグンと伸び、でもまだ伸びしろがたくさんあると見てもらえる30歳前後と、会社の中核として文字通り即戦力としての活躍を期待される35歳前後と答えています。

そしてこれは、いまになって考えると、冒頭の言葉とも密接に関わっているようにも思えます。

三十にして立つ

昔はいまより働き始めるのが早い時代ですし、そもそも中国の春秋戦国時代と現代の日本では国も時代も全く違うわけですが、この言葉の秀逸なところは、人の成熟のステップにフォーカスしている点だと私は思っています。

一般的には、人の成熟のステップとして、30歳くらいになるまでには、ひと通り何かを自力で出来るくらいの人生経験を積んできているものと思います。また、自分の強みや弱み、何に関心があってどういう時にやりがいを感じるのかといったことも冷静に見ることができるようになるのもこの頃です。その上で、どの様な仕事をしていくべきかを真剣に考え、悩み考えた末に、思い切って自分の信じる道へ一歩踏み出してみようと自らの足で立ち上がるのが、30歳前後だと思います。

そういう段階に入った方を、企業は好む傾向にあります。成果を出すための基礎体力が備わっていますし、こうしていきたいという強い意欲があるからです。また、多少の困難があってもへこたれず、歯を食いしばって頑張ってくれることが多いため、短期退職リスクも少なく、将来を任せる人材として教育のしがいがあります。

つまり、人としての成熟段階を考えた時に、本人としても企業としても、転職のタイミングとして「良い」と思われる最初のポイントが30歳前後にありそうです。

逆に、30歳までにそういう状態になるには、20代を修行と思って地道に経験を積み、何かについて責任を与えられ、完遂しておく必要があります。成功も失敗もひと通り経験し、そこではじめて自分の得手不得手や好き嫌いが分かるものと思います。

四十にして惑わず

40歳になって、いきなり惑いのない状態になる訳ではなく、ある程度の助走期間がいると私は思います。

30歳で自ら立ち、自分の道を歩き始めるとして、そこからは戸惑いの連続になります。それまでは誰かの指示に従っていても良かったものの、自ら立ったからには、自らの頭で考え、自らの意思で進め、腹を括って自ら決断する、といったことをしなければなりません。

そうすると、20代の時とは段違いに失敗も多くなり、そのダメージも比較になりません。一方で、自らの力で成し遂げられることが格段に増えてきて、20代のとき以上に、自分の適性というものが明確に分かってくる時期が30代ではないでしょうか。

そして、心理学的には『中年の危機』と呼ばれる30代半ばに差し当たったときに、それまで努力次第で何でもできると思っていたものが、努力してもどうにもならないものが見えてくるため、再び、一体自分は何者なのか、と悩み始めます。

ここが一つの正念場です。このタイミングで悩み、考え、軌道修正をし、自信を持って歩むべき道に向けて力強く歩き始められれば、40歳になったときに不惑の域に辿り着けるものと思います。実際、迷いなく生き方を決めたとしても、現実問題として、その判断が正しかったのか間違っていたかは短期間では分からず、どうしても数年はかかってしまいます。

そして、その数年を経て、やはり自分の決断は正しかったと確信を持てて初めて、本当の『惑わず』の境地に達するものと思います。

企業の方と話をしていると、『入社して頂くなら35歳まででお願いしたい』『40歳までにはマネージャ(課長)になって欲しい』という言葉をよく聞くのですが、これらは、前述の様な人の成長・成熟のプロセスを経験的・無意識的に理解しているからなのではないでしょうか。

実際、20代の転職では、多少やりたいことが抽象的でも採用してくれるケースは多いです。ただ、30代半ばの転職になると、やりたいことが具体的でなければならず、どう生きていきたいかといった信念についても問われます。やはり30代半ばにもなって、まだ何をしたいか分からないということになると、人としての成熟度合いが低いと思われるのでしょう。

逆に、自分のことをよく分かっていて、その上で覚悟を決めて自分はこう生きていきたいと明確に言える方は、企業も頼もしく思います。また、惑わずの境地に達する可能性を感じることができれば、将来マネージャとして活躍してくれるだろうと期待が持てますし、その後も会社を支える人材にきっとなってくれると確信できます。

もちろん、早咲きの人もいれば遅咲きの人もいますし、比較的新しい企業では30歳前後でマネージャや部長クラスになるのが当たり前ということもありますので、一概にこの年齢だからこうだとは言えないのですが、大体の企業が求める成長段階としては、30歳前後は主任として責任ある仕事をいろいろ任される時期、35歳前後は課長代理としてある分野を任される時期、40歳前後は課長として自分の決めた道を歩んでもらう時期、という傾向があり、35歳前後が不惑の課長になるまでの助走期間、という捉え方をしているように思います。

一点の曇りもなく

惑わずの境地に達すると、仕事が劇的に楽しくなり、早くなります。迷いながらやっているときの三倍速くらいで物事が進みます。

ある企業の方が、『一点の曇りもなく仕事をしています』ということを仰っていたのですが、この方も30代後半で、恐らく惑わずの境地におられるのだろうと思います。その『一点の曇りもなく』という言葉が、『四十にして惑わず』の心境を的確に表現しているなと思いました。

この方も、その境地に至るまでには、失敗や辛い経験をたくさんし、そのたびに迷い、惑い、悩みながらも歯を食いしばって乗り越えてこられたようです。やはり、不惑の40歳を迎えるためには、30歳にして立ち、30代半ばで覚悟を決め、力強く歩むことが必要そうに思えます。

孔子の言葉と企業が求める人の成熟段階の相関は、あくまで仮説に過ぎませんが、そういった人としての成長・成熟過程を企業も期待しているのではないか、ということも頭の片隅に入れておいた上で、ご自身のキャリアの積み上げ方を考えて頂ければと思います。

筆者 田中 祐介
コンサルタント実績
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