転職成功者の声

転職を決意したきっかけや入社の決め手、今後のキャリアパスなど、
リーベルの支援で転職を果たした人たちのリアルな声をお届けします。

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三井物産セキュアディレクション株式会社(MBSD)

T.Yさん

先が見えないキャリアの中で行きついたセキュリティ業界 30代後半で転職活動に挑み、大本命の企業から内定を獲得

プロフィール
大学の法律学科を中退後、築地の仲卸業者、警備のアルバイト、イベント運営のアルバイトを経験。IT業界を目指し、派遣エンジニアとして仕事をする中で、セキュリティ分野の業務に携わり、この道でキャリアを築くと決意。自己研さんを重ね、リーベルの支援を受けて転職活動に挑み、4社から内定取得。三井物産セキュアディレクション(MBSD)への入社を決めた。
自分はどんな仕事をするべきか。先が見えない日々を過ごした。大学を中退し、勤めた仲卸の仕事は体調を崩し、続かなかった。
警備のアルバイト、イベント運営のアルバイト。その後、将来性のありそうなIT業界で派遣エンジニアになった。
だが、業務はプリンターのメンテナンス。自分が思い描いたIT業界の仕事とかけ離れていた。
インフラエンジニアであれば向いているかもしれない。そう思って転職した企業で告げられたひと言で運命が変わる。「セキュリティのコンサルタントをやってみないか」――。
右も左も分からなかった。だが、セキュリティの業務は幅が広く、奥が深く、面白みを感じた。周りのレベルに追い付こうと必死に勉強し、数多くの資格も得た。
もっと、レベルの高い環境でセキュリティに携わっていきたい。そう考え、リーベルの支援を受けて臨んだ転職活動。その時30代後半。
他のエンジニアに比べたら実績も経験も少なく映るだろう。だが、自分の強みを棚卸しをして、積極的にアピールした。結果、大本命の三井物産セキュアディレクションの内定を勝ち取った。
紆余曲折のキャリア。道が閉ざされかけたこともあった。それをどのようにこじ開け、切り拓いたのか。その軌跡を聞いた。

様々な職種を経験し、IT業界でキャリアの道を探る

大学は法律学科に進んだものの、興味が持てなかった。在学5年で中退。就職フェアの集団面接で社長の人柄に惹かれ、正社員として飛び込んだのが、築地の仲卸業者だった。

—— 社会人としてのスタートは築地の仲卸業者でした。

Yさん:築地の場内に店舗を構え、マグロやサケ・マスといった魚類、イクラ・ウニなどを仕入れに来るスーパーや小売店、飲食店の店長を接客し、売れた魚などを包装して店までデリバリーして帰社するのが日課でした。魚の名前や目利きをする方法を覚え、顧客ごとに違う卸値などを記憶しながら販売する毎日です。
顧客と相対して商品を販売すること自体は面白かったです。だた、体に堪えたのが、午前2時に起きて4時から業務を始め、午前中に店舗の営業が終わった後に商品を各顧客に届け、午後6時に仕事を終えて8時に寝るという生活でした。入社して1年半が経つと、体調が優れない日が続き、この仕事を継続するのは難しいと判断し、退社することにしました。

—— その後はどのような仕事を。

Yさん:自分が何に向いているのか分からず、ひとまず職を得ようと始めたのが警備のアルバイトです。施設や工事現場、イベントの警備を約4年にわたって続けました。その後、いつまでも警備のアルバイトをしていても先はないと思い、イベント運営の会社でアルバイトをするようになったのが27歳頃のことです。コンサートなど大きなイベントから店舗でのキャンペーンイベントまで様々な運営に携わりました。しかし、30歳前後で、アルバイト生活から脱却し、社員として腰を落ち着けて仕事に取り組まなければならないと考え、エンジニア派遣の会社に入社することにしたのです。

—— エンジニアになろうと考えたのですね。

Yさん:プログラミングなどを専門的に学んだ経験はなかったのですが、パソコンを触るのは苦ではなく、IT系の仕事であれば興味を持って携われるのではないかと思ったからです。入社した会社では電子カルテのメンテナンス業務を行う派遣エンジニアとして仕事に従事しました。毎日、病院やクリニック、薬局を車で回り、主に電子カルテを印刷するプリンターのクリーニング、障害があった場合の部品や筐体の交換を行う業務です。ただ、エンジニアとは名ばかりで、それは、自分が思い描いていたIT業界のイメージとはかなりかけ離れた、単純な業務でした。

—— 広い意味ではエンジニアかもしれませんが、少し物足りなさを感じる仕事だったかもしれません。

Yさん:そう思っていたところ、派遣先の正社員の方が、ネットワーク系の資格を取得していることを耳にし、調べてみると、インフラエンジニアという職種があることを知りました。当時、私はメンテナンス業務以外に、LANケーブルやルーターの配線など非常に簡単ではありますが、インフラ関連の仕事にも携わっており、この職種に興味を覚えました。そして、インフラエンジニアになってキャリアを築いていこうと考え、転職する決心を固めたのです。

「これだ」と見つけたセキュリティの道

インフラエンジニアに一筋の光を見出した。転職エージェントに登録し、派遣エンジニアとして転職先も決まった。だが、そこで運命の歯車が動き出す。入社後、打診されたのは、インフラエンジニアが所属する部署ではなかった。

—— 転職先も決まり、いよいよ本格的にインフラエンジニアの道を進んでいく環境は整いました。

Yさん:ただ、入社後、思わぬ展開がありました。インフラエンジニアではなく、「セキュリティコンサルタント職をやってみないか」と打診されたのです。私としては、せっかく打診を受けたし、セキュリティもインフラとは無関係なわけではなかったので、思い切って引き受けることにしました。

—— 入社直後、方向転換があったわけですね。具体的にはどのような仕事を。

Yさん:その後、大手セキュリティ専門企業に派遣され、5年間働きました。前半は顧客が「NIST SP800-171」という米国のガイドラインを準拠するための支援、後半は大手保険会社グループのユーザー系SIerに常駐し、セキュリティ運用支援やCSIRT からの調査依頼に対応する業務に主に携わってきました。

当初はひと言でいうと、とにかく大変でしたね。右も左も分からず、顧客との打ち合わせに参加しても会話の中で出てくる専門用語が理解できず、逐一メモを取って仕事が終わった後に調べて知識を積み重ねていくことの繰り返しでした。2年くらい経ってようやく仕事が板についてきたというのが実情だったかと思います。

—— 後半のセキュリティ運用支援はよりレベルの高い業務になったのでは。

Yさん:セキュリティ製品の新規導入支援、導入されている多種多様なセキュリティ製品でインシデントが発生し、照会を受けた際の回答のとりまとめ、CSIRT からの調査依頼に基づいて、公開情報をもとに脆弱性調査を実施するなど、業務は多岐にわたりました。常駐先のセキュリティマネージャーの方の知識やスキルが非常に高く、このままでは自分は十分に貢献できないと考え、日々、自己研さんに注力し始めたのもちょうどこの頃です。
具体的には、CISSP、CISA、AWS Certified Solutions Architect–Associate、CISM、CCSP、AWS Certified Security–Specialtyと、矢継ぎ早に資格を取得していきました。ドキュメントを読むには英語力も必要なため、TOEIC Listening & Reading も725 点を取りました。いつまでに資格を取るか決め、逆算して計画を立てて取得することを試みて、これらを約1年で取り切ることに成功したのです。

—— 自己研さんの努力は目を見張るものかと思います。業務の方はいかがでしたか。

Yさん:経験を重ね、知識を蓄積するにしたがって、システムや機能のつながりが見えてくるようになり、全体像がつかめるようになったことは大きな進歩でした。いわば、セキュリティシステムに対する解像度が上がり、仕事がどんどん面白くなっていきました。そうなると、自主的に動けるようにもなります。実際、指示を受けなくても、自ら仕事の進め方の計画やタスク管理を行い、対応フローの整理や定型業務連絡のフォーマット化なども進んで取り組むようになりました。

—— 知識と行動の相乗効果でセキュリティ領域において働いていく道が拓けていったわけですね。

Yさん:しかし、その中でも問題や課題が出てきました。一つは、セキュリティのコンサルタント派遣業務を撤退する可能性があると上司から告げられたことです。それを聞いて、やっと自分の中で「これだ」と見出した進むべき道が閉ざされていくのではないかと不安に駆られました。もう一つは顧客に対してより高いレベルでセキュリティサービスを提供したいと考えるようになったことです。今までのキャリアでそこまで一途に突き詰めようと思ったことは正直ありませんでした。私も30代後半になり、転職する年齢としては厳しいのではないかと思いつつ、ようやく見つけたセキュリティという道をもう一度こじ開けるため、転職しようと決意したのです。

リーベルの支援で見えてきた、転職の軸と面接の方向性

再び転職を決意した。だが、転職サイトの求人票をチェックしてみたものの、自力では応募すべき企業を見つけられなかった。転職でどんな職種や領域を目指すべきか、いわば転職の“軸”となるものも明確には定まらない。「どうしたものか」と悩んでいた時、目に留まったのがリーベルのウェブサイトだった。

—— 数ある転職エージェントの中でリーベルに白羽の矢を立てたのはなぜですか。

Yさん:リーベルのサイトに掲載されている様々な記事を読み、担当者がIT業界に明るい方ばかりであると知ったことが一つ。そして、他のエージェントのように求職者に相対する人と企業に相対する人が分かれておらず、どちらも一人の担当者が対応することです。特に、企業の情報にも、面接を通過している人の情報やノウハウにも詳しい一人の方に支援を受けられる点は有効だと考えました。

—— 実際、リーベルの担当者と面談して転職の軸は見えてきましたか。

Yさん:それが、実に明確になったのです。リーベルの担当者は、私の実績や知識、スキルをレジュメから正確に読み取り、さらに私がセキュリティの技術者に憧れ、自己研さんの努力をしてきたことについても、しっかり耳を傾けていただけました。ただ、その上で担当者に告げられたのが、「技術を突き詰めていく職種への転職は厳しいかもしれない」という結論だったのです。

—— セキュリティを突き詰めていくと考えていた中、それを聞いてどう思いましたか。

Yさん:私は技術的なバックボーンは強くなく、その通りなのかもしれないと感じました。確かに、憧れだけでは転職はうまくいかないのではないかと。しかし、それに続けて受けたアドバイスが私の心を捉えました。それは、「セキュリティに関わると言っても、全員が技術を極めていかなくてもいいのではないか。私も昔ネットワーク系の業務に携わっていたが、構築を考える中で、どうしても分からない部分はネットワークのスペシャリストに頼んで助けてもらってきた」という、ご自身のエピソードを交えたものだったのです。

—— 技術を突き詰める以外にも道があるということ。

Yさん:そうです。前職でも私はある程度技術のことを理解しながら、技術支援の専門部隊と顧客の間に入って取り持ったり、調整したり、プロジェクトの管理・運営をしたりすることがメインでした。転職先で自分が何で貢献できるかという観点で見た場合、その経験を活かしながら、より価値のある業務を行っていくことが私の生きる道であると、扉が開けたような気がしたのです。
業界では「セキュリティコンサルタント職」という職種があります。「この職種であれば、培ってきた経験を活かせる」とリーベルの担当者から助言を受けました。私はそこに一縷の望みを託し、助言通り、その職種で応募することにしました。

—— 5社応募して4社で書類が通ったと聞いています。その中に、三井物産セキュアディレクション(MBSD)も含まれていたわけですね。MBSDの面接はどうでしたか。

Yさん:非常に印象に残っているのが、プロジェクトの中でどのような役割で、具体的に何をしていたのかを、掘り下げて聞かれたことです。意図としては、実績もさることながら、どこまで主体的に動ける人物なのかを見定めようとしていたのではないかと考えています。

—— なぜ、そのように思われたのですか。

Yさん:事前にMBSDのウェブサイトをチェックし、会社として受け身ではなく、主体的に提案する活動に力を入れており、それが顧客から高く評価されているというコメントを見ていたからです。従って、私もできるだけ、自主性が伝わるような回答を心掛けました。それは「リーダーというポジションを担ったことはないが、仕事の進め方やタスク管理は自ら考えて行っていた」「他のメンバーにも業務が円滑に進むように的確な指示を出した」といった内容でした。

—— 最初からそうした答え方をするつもりでしたか。

Yさん:いえ、当初は違っており、実績を聞かれたらそのまま実績だけを答えればいいと思っていました。リーベルの担当者と本番の数日前に模擬面接を行って練習した時も、そうした認識だったと思います。しかしその際、担当者に言われた言葉をきっかけに意識が変わりました。担当者に「面接とは自己アピールの場。何を聞かれてもアピールできるゴールに向かって情報を整理して回答を組み立てることが重要」とアドバイスされたのです。その時はっとしましたね。そうであれば、相手が意図するところに合わせて自分の強みや経験を棚卸しし、答えを準備すればいいと方向性が見えてきたのです。

—— 他にリーベルのサポートで役立ったことは。

Yさん:各社の面接が終わるたびに、担当者に「誰に何を聞かれ、どのように答えたのか」を細かく伝え、的確なフィードバックを受けられた点です。ミスがあれば改善し、次の面接に活かすサイクルが自然と形作られました。そうしたきめ細かいサポートもあり、私はMBSDも含めて面接に進んだ4社の全てから内定を取得することができたのです。

言い訳をせず、自分ができることを最後までやり切る

4社から内定を勝ち取った。どれも魅力的な企業ばかりだったが、心は決まっていた。それは、「目指す方向性が同じ」というシンプルな理由からだった。

—— 最終的にはMBSDへの入社を決めました。理由を教えてください。

Yさん:ひと言でいうと、会社の理念に共感したからです。MBSDはプロフェッショナルとしていかに顧客に価値を提供していくかをメッセージとして強く打ち出しており、そのためにあくなき探求心を持って自己研さんにまい進することをテーマとして掲げています。私もセキュリティの仕事をしていくからには、自己研さんを積んで価値の高い仕事を提供できるようなプロフェッショナルでありたいと考えており、方向性が一致していると感じたのです。応募した企業の中では大本命と位置づけており、内定を取得した時点でぜひMBSDの一員になりたいと思いました。

—— 転職が成功した要因は何でしょうか。

Yさん:一つは、常に目の前の業務に全力で当たってきたことだと思います。私も含めて転職を思い立つのは、今の環境に納得していなかったり、何らかの不満があったりするからだと思います。とはいえ、面接で見られるのは、どんなことがあろうと、仕事にどう向き合うのか、その姿勢を貫いて何を成し遂げてきたのかという人間性ではないでしょうか。もし不満が原因で目の前の仕事や現場に全力を尽くせていなかった場合、どう言い繕っても面接官に見透かされてしまうと思います。何か現場から学び取ることがあるのではないかと考え、今担当している業務を全うすれば、それが回りまわって自分自身のためになりますし、面接の場でもそうした考えを持って仕事をしていることが伝わります。

—— 何があろうと全力を尽くす姿勢が重要ですね。

Yさん:もう一つは自己研さんがポイントになったと思います。資格取得で得られる知識以外に、自己研さんする姿勢、取得するまでのプロセスを考え実行していく習慣や考え方なども身に付いた財産です。つまり、自己研さんをすることはキャリア形成において実に得るものが大きい活動なのです。その姿勢、習慣や考え方を修得できている点も面接では評価が高かったのではないでしょうか。

—— 最後に、今後転職活動に臨む方々にメッセージを。

Yさん:転職に臨む前、私には一見不利と思える点が多々あったと自覚しています。30代後半で世間一般的には厳しい年齢、技術的なバックボーンも少なく、セキュリティの知識が人より大きく秀でているわけでもない。リーダーの経験もありません。挙げればきりがないくらいです。しかし、そうしたことを言い訳にせず、これまで紆余曲折があろうと、今の状況がどうであろうと、ひたすら今の自分にできることを最後までやり切ることだけを考えてきました。これは、転職活動だけでなく、仕事に対しても言えることですが、とにかく自分にできることをやり切ること。これに尽きるのではないでしょうか。

—— 面接官はそうした物事に対する向き合い方を評価したのだと思います。経験は足りないかもしれないが、諦めないで自己研さんができる人だと認めたからこそ、4社全ての会社が内定を出したのではないでしょうか。普段の仕事に対する姿勢が転職の成否を決める要因につながるということがよく理解できました。ありがとうございました。

ライター プロフィール

高橋 学(たかはし・まなぶ)
1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
◇主な著書
『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。
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