
- プロフィール
- 首都圏の国立大学を卒業後、大手ソフトウェア開発会社に入社。スマートフォン用アプリ開発、Webアプリ開発など複数のプロジェクトに携わり、チームリーダーも経験。最初の転職でリーベルの支援を受け、電子書籍の流通を担う事業会社に入社し、Webアプリ開発のプロジェクトに従事。再度、リーベルの支援で転職活動に挑み、MIXIから内定を獲得。
新人には経験が必要と、早くから一部の機能の開発とリリースを任せてくれる懐の深い会社だった。当時では先端的なアジャイル開発も経験した。
成長を実感する日々。いつしか、コミュニケーションを重視し、チームでものづくりをするプロセスが楽しくなった。同時にそれが自身の持ち味となった。
入社して10年が経ち、次のチャレンジとして、自分の好きな「本」の仕事に携わりたいと思った。リーベルの支援を受け、電子書籍の流通を事業とする会社に転職した。
だが、チームでの開発やコミュニケーションを重視する文化ではなく、自身の強みが活かせない。誰か1人に負担がかかる場面も目立つ。仕事の進め方が自分とは合わない。
もう一度、自分の持ち味を発揮したい。ダイレクトリクルーティングのサービスを使って、直接企業の責任者や社長と何度も面談を重ねた。しかし、自分の意図が伝わらない。
最後の頼みの綱となったのがリーベルだ。担当者に自身の思いを全て吐露した。担当者はその意を汲み、提案した求人が、求めている働き方ができる会社。その中にMIXIもあった。MIXIの面接では、自分の人柄、コミュニケーションを重視した開発の実績と考え方が評価され、見事、内定を獲得した。
ダイレクトリクルーティングでは得にくい客観的な視点。リーベルの支援でリカバリーし、転職を成功に導いた軌跡を追った。
友人のひと言でIT業界へ、精鋭部隊への配属で持ち味が身に付く
国立大学の文系学部から、思いもよらぬ展開でIT業界へ。会社に、上司に、そして、先輩や同僚に恵まれた。同時に苦い思いもした。そうした中で、技術力だけでなく、キャリアを形作るのに重要な自分の持ち味も身に付けた。
—— 就職活動では元々IT業界に行くつもりはなかったようですね。
Fさん:当初は、いろいろな業種、職種を受けていました。本が好きなので印刷業界の会社にも応募しましたし、コンサルティング職や様々な企業の営業職も受けました。そんな中、友人に「IT業界がいいのでは」と薦められ、「面白そうだね」と応じた手前、1つか2つは受けてみようと行ったのが、就職先となる大手ソフトウェア開発会社の説明会です。「プログラミングをする」と聞いて、何だか面白そうだからやってみようかなと思い、入社を決めました。
—— 未経験で最初は大変だったのでは。
Fさん:パソコンの操作もおぼつかなかった状態で入社したわけですから、当初はほぼIT知識ゼロ。ただし、その会社は研修期間が4月~12月と長く、同期と一緒にプログラミング言語の基礎からチーム開発までしっかりと修得することができました。ベースの部分の知識やスキルが身に付いたのは、その研修のおかげだと思っています。

—— 実際の業務ではどのようなことを。
Fさん:最初にアサインされたのが、デジタルカメラのスマホ用アプリを開発するプロジェクトです。新人ながら最初からAndroidアプリの開発担当となり、アプリに取り込んだ静止画をSNSに投稿する機能の開発を任されました。先輩に教えてもらいながら、コードを書いてはレビューしてもらう毎日。その会社は「新人のうちからリリース経験を積ませる」という企業文化があり、開発未経験の私でも早いうちからある程度責任のあるポジションを担うことができたのです。また、開発手法では、会社が当時先端的だったアジャイル開発をいち早く取り入れ始めた時期で、最初からそれを経験できたことも幸運だったと思います。
—— 2年ほどそのプロジェクトで業務を行い、次にアサインされたのが、全く分野が異なるBtoBの領域。グループ全体で営業が使うWebアプリケーションの開発でした。
Fさん:入社以来Androidアプリの開発ばかり行ってきたので、「Webの知識も修得したい」と上司に相談したところ、アサインされたのが、そのプロジェクトでした。ただ、構築するシステムは非常に複雑で、開発が難航し、私がメンバーになった約3年後に中止に追い込まれてしまったのです。「もう少しシステムの品質が良ければ別の道もあったかもしれない」ととても悔しい思いをしたことを今でも覚えています。システム開発には人間力と技術力が必要だと思いますが、その時ほど技術力の重要性を痛感したことはありません。若き日の教訓です。
—— その後は、どのようなプロジェクトを。
Fさん:再び、デジタルカメラのスマホ用アプリ開発プロジェクトの一員となりました。そのプロジェクトのメンバーが社内でも指折りの精鋭揃いで、一緒に仕事をしてみたいと自ら志願し、参画が認められたのです。「やりたい」という気持ちを汲んでくれるのもその会社の良い点でした。
そこでは、とにかく学びがある毎日でした。先輩たちの推進力、チャレンジ精神、そして事業に対して責任を負う姿は、私にとって「これこそがエンジニアのあるべき姿」と思えるものでした。一緒に仕事をして、「この人たちは本当に凄い」と感服する場面が幾度となくありました。新しい機能を開発しようとする時、これまで培ってきた既存の知識を組み合わせて実現していくやり方に対しても、「システムはこうして作られていくのか」と目から鱗が落ちる思いでした。
—— ご自身はどのような役割を担ったのですか。
Fさん:一番技術力がない私ができることと言えば、チームの団結心を高めることくらいです。そこで、当時はリモートワーク中心で業務を行う中、チャットやビデオ会議ではとにかく積極的に発言し、チーム内のコミュニケーションを円滑にすることに注力したのです。一方で、分からないことがあれば、先輩たちに教えを請い、どん欲に自分の知識や技術も高めていきました。私の担当となったアプリケーション全体の設計と、AWSを用いたインフラ構築では力を発揮できたと思います。結果、精鋭部隊のコミュニケーションが活性化すると同時に、私自身のスキルも上がっていき、凄腕のエンジニアの中でも何とか自分の役割を果たし、技術力を磨くことができたのです。
好きな本の業界へ転職するも、仕事の進め方にギャップを感じる日々
IT知識ゼロからスタートしたキャリアだったが、知識や技術を身に付け、充実する毎日を送った。その後、チームリーダーを経験し、プロジェクトの進め方でも知見を得た。だが、そんなさなかに転職を決断する。なぜ心変わりしたのか。
—— 次のプロジェクトではチームリーダーに抜擢されました。
Fさん:BtoB向けのWebアプリケーションを開発する、最大規模7人のチームでした。当初、ベテランメンバーを含む4人でスタートしましたが、うち2人はWebの開発経験がなく、ベテランメンバーはシステムのことなら大半が分かる人だったもののAWSの経験がない状況でした。私はそれまでAWSの経験を積んでいたので、リーダー兼開発者としてインフラ構築をけん引してベテランメンバーをフォローすると共に、他のメンバー2人にはWebの知識を学びつつ、このプロジェクトに参画して楽しかったと思ってもらえるように事を運ぶのが自分の役割と考え、案件をリードしていくことにしたのです。
—— 初めてのリーダー経験の中、自分なりの目標を立てたのですね。
Fさん:まだコロナ禍だったので、フルリモートでのコミュニケーションでした。コミュニケーションを活性化させるため、常に音声をつないでおき、メンバーが分からないことがあればすぐに私に質問できる体制を整えました。ペアプログラミングも多用し、「私だったらこうコードを書く」と画面上で見本を示して、理解が深まるような工夫も行いました。その進め方が奏功し、チーム力が向上して無事リリースすることができたのです。若手2人にとっても良い経験となり、成長につながったのではないかと思います。
—— コミュニケーションを重視し、チームを活性化させてプロジェクトを成功に導く。ご自身の持ち味に気付き、それが実を結んだプロジェクトになりましたね。そうした中、転職に心が動いたと聞いています。なぜですか。
Fさん:社会人になって10年目となる時期でした。私は目の前のことを一生懸命やって十分楽しめるタイプですが、節目に当たり、今後どうしようかと考えた時、自分の好きなことに携われたらいいなと考えるようになったからです。私は本が好きで、新しいチャレンジとして関連する業界でチャレンジするのが次の一歩だと思い、転職活動に挑む決心を固めました。
—— 転職活動はどのように進めましたか。
Fさん:実は、私が勤めていたソフトウェア開発会社の同期が先に転職してリーベルに勤めていることを知り、ぜひ支援をしてもらいたいと思い、お願いすることにしたのです。元同期は転職先候補の提案から面接対策まで着実に行い、献身的に私を支えてくれました。その結果、電子書籍を流通させる事業会社に入社することができました。
—— 本に関わる仕事に就けたのですね。新天地ではどのような業務を。
Fさん:配属されたのは、旧システムを新システムにリプレイスを行うプロジェクトチームでした。フロントエンドやバックエンドの実装、AWSを用いたインフラの設計や構築が主な私の役目でした。それはそれで良かったのですが、業務の進め方に戸惑いました。その会社はトップダウンで開発を進めており、リーダーが決定したことをメンバーが実装する、というやり方を採用することで、開発スピードを高めていました。開発手法も、ウォーターフォールからアジャイルへ移行しているところであり、まだまだ臨機応変に対応することが難しい状況。さらに、早期リリースを最重視していたため、長期稼働に耐えられる設計をじっくり行うよりは動くものを早く作ることが多く、そのために、ボリュームのある複数機能を特定のメンバーがまとめて担当することも少なからずありました。チーム力やコミュニケーションを重視して開発を進めていく私の持ち味が、ここでは十分に活かせないと、次第に思うようになったのです。
—— 開発の手法や実際の働き方は、入社してみないと分からないものです。
Fさん:その通りです。そんな思いを抱きながら、1つのプロジェクトが終わり、次の案件ではリーダーに就くことを打診されました。それを受けて続けていけば、以後2~3年、仕事の進め方に納得できないまま過ごすことになります。であれば、新しい環境に移って、自分の力が発揮したいと考えるようになり、私は再び転職に向けて動き始めたのです。

ダイレクトリクルーティングからリーベルの支援に切り替えた理由
再び転職活動を行う決心をした。当初、今どきのアプローチを試みようと、ダイレクトリクルーティングのサービスを利用してみた。様々な会社とカジュアル面談を行う日々。だが、どこもいい会社ではあるが、違和感があった。
—— 今回の転職活動はどのように進めましたか。
Fさん:最初は自らの力で転職先を探してみようと思い、ダイレクトリクルーティングのサービスをいくつか利用してみました。仕事の進め方を大事にすること、持続可能な働き方ができることを軸に、様々な会社とカジュアル面談を重ねました。しかし、どの会社も魅力的な事業内容であったものの、求められる役割や仕事の進め方に関して私の考えとはギャップがあり、決め手に欠ける状況だったのです。
新興企業からCTOのポジションを提示されたり、リーダーシップを発揮して事業全体を引っ張っていくことを求められたり。私としてはチームメンバー全員でアイデアを出し合いながら開発を進めていくスタイルを望んでいましたが、その意図がうまく伝わらないもどかしさを感じていました。システム上のマッチングだけでは限界があるのではないかと思うようになったのです。
—— 1人で企業と相対する転職活動では難しいこともあるかもしれません。
Fさん:その活動の中で足りなかったのが、“客観的な視点”です。自分はこの企業と合っているのか、提示されたポジションや働き方と齟齬はないのかなど、他者の意見を聞きたいと思っても、それができないことが一番のネックでした。そこで、再度リーベルの支援を受け、プロの客観的な判断や助言を得る転職活動にシフトすることにしたのです。
—— リーベルでは、前回とは別の担当者が支援を行うことになりました。どのような話し合いを?
Fさん:電子書籍流通の事業会社では仕事のやり方が合わなかったこと、次の会社では現場でメンバーとしてボトムアップで開発を行いたいこと、持続可能な働き方がしたいことなど、すべて、腹を割って話しました。また、「仕事の進め方が合わなくて転職する」という私の考えが、単なるわがままと見られないかといった不安についても、相談に乗ってもらいました。リーベルの担当者は色々な企業、様々な候補者を見てきた知見があり、その客観的なプロの目こそが頼りになると思ったからです。
—— 期待していた支援は受けられましたか。
Fさん:はい。その1つが、私が思いつかなかった求人票を提示されたことです。今回内定を獲得できたMIXIもそのうちの1社。リーベルの担当者が、同社の社風や開発方針、私が求めるボトムアップができるポジションがあることを知っているからこそ、薦めることができるのだと思いました。
—— MIXIの面接はいかがでしたか。
Fさん:まずはリーベルの担当者が設定したカジュアル面談を受けましたが、開発のチームは大人数がいいのか、少人数を希望するのか、決められたことをやるのがいいのか、裁量がある形で仕事をしたいのかなど、非常に丁寧に私の意向を聞いていただけたことが印象に残っています。さらに、ポジションもいくつか提示され、どれも私の意図を踏まえた提案であり、納得感のあるものでした。
—— その後が本番の面接でしたね。
Fさん:その本番の面接も形式ばったものではなく、面接官はとてもフランクな感じで、話しやすかったことを覚えています。質問されるというより、コードの書き方などについて意見を交わし合うような場になり、私の考え方を理解しようとしている様子が伺えました。チームで開発する上で何が大切かと聞かれ、素直に「コミュニケーションを大事にしている」と伝え、理由を話したところ、その点にも理解をいただけたようでした。後日、リーベルの担当者を経由して面接のフィードバックを聞きましたが、コミュニケーションを大切にしている点や、私の人柄が評価されたとのことで、MIXIなら、私の力を発揮できるのではないかと希望を見出すことができたのです。
—— 2次面接はどのようなものでしたか。
Fさん:2次面接の面接官は役員の方でしたが、1次面接よりさらにフランクで、「当社とマッチングしているかどうかを見たいので、どのような仕事をしたいのか、良し悪しは抜きにして意見を聞かせてほしい」と言っていただけました。面接のような雰囲気ではなく、私と会社側で意見のすり合わせをするような感覚でしたね。そこでもコミュニケーションを大切にする部分や人柄が評価され、内定を得ることができたのです。
自分を知り、それに合う企業を見つけることが成功への道
MIXIから内定を取得し、紆余曲折があった転職活動が無事、成功裡に終わった。MIXIへの入社の決め手は何だったのか。そして、転職がうまくいった要因は何か。

—— MIXIを含めて最終的に2社から内定を得ることができました。MIXIに決めた理由は何でしょう。
Fさん:もう1社もコミュニケーションを重視する私の考え方を評価していただき、迷ったことは事実です。決め手となったのは、MIXIの1次面接を担当された現場のマネージャーも、2次面接の役員の方も、とても話しやすかったこと。こうした人たちが働く職場であれば、入社しても、私がやりたいことや意見が言いやすく、自分が求める開発や働き方がかなうと考えました。そして、もう1つが、提示されたポジションです。顧客からの問い合わせなどに対応するカスタマーサクセスをサポートするための仕組みやシステムを構築するCRE(Customer Reliability Engineer)のポジションで、経験がないことにチャレンジできる点にも魅力を覚えました。
—— 振り返って、転職が成功した要因は。
Fさん:私がやりたいことやアピールポイントと合致している企業に応募できたことが大きいと思っています。自分の持ち味であるコミュニケーション力が評価されなければ、この転職活動は苦しい展開になっていたでしょう。その意味で、応募先の選定が全てだったと言っても過言ではありません。
—— 最後に、転職成功を願う方々にメッセージをお願いします。
Fさん:まずは自身がどんなタイプの人間なのか、その上で何をやりたいのか、「自分を知ること」がすごく大事だと思っています。人によっては「技術が好きなのでもっと磨きたい」「管理が得意なのでよりマネージメント力を高めたい」など考え方はまちまちでしょう。私の場合、それが「チームやコミュニケーションを重視して働きたい」というものでした。
自分を知ることができれば、後はそれに合う会社を探すだけです。世の中には色々なスタイルの会社があり、良し悪しや正解はありません。ただ、それが自分にマッチしているかどうかは大切な尺度となります。そのマッチングが外から見ていてはなかなか判断しづらい中、リーベルのようなプロからの助言をもらうことは非常に有効だと考えています。
—— まずは、自分を知ること、そしてマッチングするために客観的なプロの視点を活用することが重要ということですね。貴重なご意見をいただき、ありがとうございました。
ライター プロフィール
- 高橋 学(たかはし・まなぶ)
- 1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
- ◇主な著書
- 『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。