転職成功者の声

転職を決意したきっかけや入社の決め手、今後のキャリアパスなど、
リーベルの支援で転職を果たした人たちのリアルな声をお届けします。

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株式会社野村総合研究所(NRI)

K.Iさん

パブリッククラウドの提案活動や上流工程を志望 20代半ばで転職を決断し、大手SI会社の内定を獲得

プロフィール
地方の国立大学の法学部を卒業後、大手外資系SI会社の子会社に就職。インフラエンジニアとして、設計・構築・テストなどの導入業務から運用・障害対応まで一貫して携わる。提案活動や上流工程のキャリアを積むため転職を決意。リーベルの支援を受け、野村総合研究所(NRI)の内定を獲得。
大学卒業後、入社した年がコロナ禍となり、自社の要員が顧客開発環境にアクセスするためのリモート接続環境の構築にアサインされた。基盤構築に携わり、基礎技術を身に付けた。
その後も複数の顧客の共通開発環境の更改、仮想化基盤環境の構築、保守・運用などでインフラエンジニアとして着実に経験を重ねていった。
だが、子会社が合併し分社化される中で、自身の業務が変化。保守の仕事がメインとなった。さらに、子会社という立場では提案活動や上流工程は経験できない。
自己のキャリアは自分自身で作らなければならない――。そう決心し、20代半ばで挑んだ転職活動。リーベルの支援を受け、野村総合研究所(NRI)の内定を掴んだ。
SI子会社から大手SI会社へのステップアップ。実現した秘訣を聞いた。

先例がない技術を独学で身に付けて実装

大学卒業後、入社する年に新型コロナウイルスの感染が拡大した。だが、新人に経験を積む機会が回ってくる。自社のエンジニアが顧客の開発環境にアクセスするリモート接続環境の構築プロジェクトにアサインされたのだ。

—— 国立大学の法学部という文系出身者ですが、就職したのは外資系大手SI会社の子会社でした。

Iさん:大学卒業後は公務員になろうと思っていたのですが、よく実情を聞いてみると、自分が思っていたような業務ではなく、配属先によっては残業も多くて厳しいことが分かりまして。私は高校時代に自作PCを作り、大学生になってからはサーバーをレンタルして友人とゲームを楽しむなどITを趣味として楽しんでいたこともあり、自分の好きなITで食べていくことも1つの道だと考えるようになりました。そうした流れで、外資系大手SI会社の子会社に入社することになったのです。

—— 入社した年がコロナ禍となりました。

Iさん:ただ、自社のエンジニアが出社できない中で、新人の私に経験を積む機会が訪れました。エンジニアが自宅などから顧客の開発環境にアクセスするためのリモート環境を構築するプロジェクトにアサインされ、先輩のサポートを受けながら、基盤の基礎となるスキルを修得することができたのです。私はITが好きだったのでベースとなる知識は少しはありましたが、実際の業務で使うものとしては全く足りていませんでした。最初の案件で自分の手を動かしてサーバーを構築し、ユーザーのフィードバックを受けて改良やルール決めを経験できたことは、基盤エンジニアのスタートとしては非常に良好だったと思っています。

—— 以後も基盤の構築や保守・運用を複数の案件で担当し、実績を積まれました。

Iさん:共通開発環境の更改、ホスト開発環境の更改、仮想化基盤環境の構築などさまざまな案件にアサインされ、主にオンプレミスのサーバー構築や保守・運用に携わってきています。そうした中、私が特に地力を発揮したのが、自ら提案をして、システムをより良い形に改善していくことです。例えば、サーバーのソースコードをGitを使って一元管理する仕組みを導入したり、リモート接続環境にアクセスするパスワードをSlack APIを利用して配布する仕組みを開発したりするなど、先例はないが有効だと思われる技術を独学で身に付けて実践の場で活用することを、自主的に行っていったのです。特に後者は評判がよく、運用改善事例として発表して社内共有も図りました。

—— GitやSlack APIなどの技術はどのように修得を。

Iさん:私は技術系の記事を読むのが好きなので、それらの記事の中で有用だと思ったものを深掘りして学び、知見を得ていくというスタイルで突き詰めています。Gitは研修を受けて、さらに知識やスキルに磨きをかけました。その他、AWSやKubernetesなどのクラウド系の技術も、業務では使わないのですが積極的に勉強して資格を取得しています。今の仕事では使わないものの、将来の自分のキャリアを考えた場合、身に付けておいて損はなく、むしろいつか必要となるスキルだと考えていたからです。

—— 着々と経験を積まれ、資格や技術も習得しているさなかに転職を決断しました。なぜでしょう。

Iさん:親会社の方針で子会社が合併となり、さらに分社化される中で、私が所属する会社がサーバーやデータセンターの保守・運用がメインになり、今後経験していきたい提案活動や上流工程に携わるのが難しくなってきたことが理由の1つです。また、私は独学でパブリッククラウドの知識を身に付けていましたが、そのスキルを発揮できるプロジェクトにアサインされる可能性も低く、自分が目指すキャリアが望めそうもないことも懸念点でした。ライフイベントとして子供が生まれることもあり、未来を切り開くためにも転職が必要だと考え、活動に向けて一歩踏み出す決断をしたのです。

胸に響いたNRIのスタンス

転職活動に挑む決心をした。当初、人材紹介会社の支援を受ける考えはなかった。だが、国内最大級の社員の口コミ情報を提供する就職・転職のプラットフォーム「オープンワーク」を経由してリーベルの担当者と出会い、気持ちが変わった。

—— 当初、自力で転職活動を行う方針だったようですね。

Iさん:人材紹介会社がどんなサポートをしてくれるのか分からず、単に求人票を紹介してくれるだけなら自分でも探せると思い、支援を受けることは考えていませんでした。しかし、その自分の考えを変えてくれたのがリーベルの担当者です。私はオープンワークで情報を収集する中で、野村総合研究所(NRI)に応募したいと思い、支援の窓口となるリーベルにコンタクトを取りました。

—— その後、リーベルの担当者とはどのような話を。

Iさん:早速面談が行われたのですが、驚いたのは、リーベルの担当者がNRIも含めて、SI会社やコンサルタント会社などの内情に非常に詳しかったことです。「Iさんのキャリアと志向性であれば、こうした社風でこの領域に注力しているこの会社のこのポジションが候補となる」「このポジションに就けば、将来はこのようなことができるようになり、目指しているキャリアを得ることができる」など、各社で私の希望に合致しそうなポジションを次々と挙げて、その理由や将来的な展望まで分かりやすくレクチャーしてくれたのです。

—— そうした専門的な意見と候補者の将来まで考えるスタンスを見て、考え方が変わった。

Iさん:そうです。リーベルであれば、任せられる、信頼できると思いました。自分が探し当てた会社も応募しながら、人材紹介会社の支援はリーベルから受け、進めることにしました。

—— リーベルの担当者から聞いて印象に残ったことは。

Iさん:NRIの内情を説明する中で、「顧客に寄り添い、最後までしっかりとプロジェクトを完遂する会社」「常に顧客のために何ができるかを探究し、その時点で最良と思われる解決策を提案する会社」と話していたのが非常に心に響きました。自社は外資系だったこともあり、収益が計画を下回る時はプロジェクトの途中で離れることもありましたし、自社製品の導入を優先することもあったからです。ビジネスということを考えるとそれはそれで一理あるのですが、私は、あくまで顧客を第一に提案活動やシステム構築を手掛ける仕事がしたいと思っていたため、NRIのスタンスに共感を覚えました。当初から、NRIのような大企業を顧客としてSIやコンサルティングを行う会社に入りたいと思っていたのですが、リーベルの担当者からNRIのスタンスを聞いてさらに行きたいという思いが募り、私はNRIを第一志望としながら転職活動を本格化させていったのです。

苦手だった面接を「自信」に変えたアドバイス

今後のキャリアを決定づける各社の面接が始まった。地元に残って仕事を続けたかったため、NRIは特定の地域で働くエリア採用を選んだ。第一志望の面接はどのように進んでいったか。

—— NRIの面接はどうでしたか。

Iさん:1次面接では、「案件や資格取得において技術知見の吸収力が高いこと」「前例がなくても良いと思った技術は果敢に挑み組み込んでいくこと」など自分の強みをアピールし、面接官の心を掴むことができたのではないかと思います。

—— 面接で注意した点は。

Iさん:実は、正直に言うと私は面接が苦手で、就職活動の時も面接で落ちることが多く、自信がないというのが本音でした。それをリーベルの担当者に事前に相談したところ、まず「苦手には見えない。落ち着きがありつつ力強く堂々と話せているし、経験や思いを伝える力もあると思う。苦手に思う必要はない。自信を持って欲しい」と言われました。同時に、「誤解を招くような言葉の使い方をし、矛盾している・一貫性がない、と思われてしまう時が確かにある。そこを面接官に突かれ、誤解を解くための話をする、というのを何度か繰り返すと、面接の流れはどうしても悪くなる。それが原因で苦手意識を持ってしまっているのではないか」と、思わぬ指摘を受けたのです。例えば、担当者との面接練習で、「私は入社以来携わってきたインフラに今後も専念したい」と答えたことがあります。私の本当の思いは、「インフラを中心にしつつ様々な技術を扱い、ゆくゆくはアプリも含めたアーキテクトになりたい」だったのですが、そこで「今後も」「専念」という言葉を使ったために、ずっとインフラ以外は排除する、という印象を相手に与えてしまいます。ですから、そこは「まずは」「注力」と言った方が良いというのが担当者のアドバイスでした。
そうした言葉の使い方で誤解されそうな言い回しは他にもいくつかありました。そこで、面接ではその点に注意することを心がけて答えたところ、自分の思いが面接官に正しく伝わるようになり、会話の流れも良くなりました。それが自信につながり、終始落ち着いて対応することができたのです。

—— 最終では人事担当者との面接でした。

Iさん:1次、2次と通ったもののまだ内定ではないため、最後まで気を抜かないように緊張感を持って臨みました。その人事担当者との面接で問われたのが、NRIの文化と私がマッチしているかどうかということ。そこで胸に去来したのが、リーベルの担当者が話してくれて、私が共感したNRIの仕事に対する姿勢です。私はそのNRIの姿勢について言及し、それはまさしく自分が目指している仕事のあるべき形であると率直に思いを伝え、人事担当者もその答えに納得しているように見えました。結果、内定を得られ、私はNRIの一員となることができたのです。

望むキャリアを手に入れる秘訣は「改善活動」

3度の面接をクリアし、SI子会社からNRIへとキャリアアップ。20代半ばで人生の大きな転換を図ることができた。なぜ、これまでのキャリアを転職成功につなげることができたのか。最後にその秘訣を聞いた。

生まれたばかりのお子さんと一緒に

—— NRIの内定を獲得することが叶いました。率直な感想を。

Iさん:非常に高いレベルの会社に行けたと思っています。これからのキャリアを頑張ろうという気持ちにさせてくれる転職であり、決断して良かったと考えています。

—— リーベルの支援はどうでしたか。

Iさん:自分が期待していた以上のことを返してくれたと思っています。企業各社に対する知識量がものすごく、面接練習、経歴書の添削もとても時間をかけて行ってくれます。私の良い点、悪い点もアドバイスしてもらい、転職活動を支えてくれて、一種の連帯感を感じることができた点も非常に心強かったです。

—— 転職活動中で特に良かったと思う点は。

Iさん:面接が終わるたびに面接官の質問と私の回答を記入する「振り返りノート」というものを設けて、フィードバックしてくれたことです。「この答え方では整合性が取れていない」「この答え方では誤解される」など時には厳しい意見も言って、修正を促してくれました。そうして細かく指摘され、考えを正しく伝えられるよう答え方をブラッシュアップしていったからこそ、最終的に良い結果を得られたのだと思います。

—— 入社して3年、20代半ばでの転職となりました。

Iさん:1つ言えることは、自己のキャリアを作っていくのは自分自身だということです。1つの会社に長年属してキャリアを作るのも選択肢であり、複数の会社で自分の技術を磨いていくことも選択肢です。私は若いながらも自分のキャリアを真剣に考え後者の道を選びました。

—— 最後に、自分が望むキャリアを手に入れる秘訣を教えてください。

Iさん:明確に秘訣というものはないのですが、与えられた仕事を全力で行うだけでなく、どうすれば改善できるか、何か他にできることはないかと、自主的に考えたり、探し続けたりすることが大事なのではないかと。それを常に考えていると、「改善するためにはこの技術が必要なので講座を受けてみよう」「学びにつながる資格を取ってみよう」という発想につながります。自分の視野が広がり、それが面接でも評価されたのではないかと思います。これからもこの考え方を大事にして、力を発揮していきたいと考えています。

—— 自主的に改善活動を続けていくことが、キャリアを良い方向に導くということですね。ありがとうございました。

ライター プロフィール

高橋 学(たかはし・まなぶ)
1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
◇主な著書
『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。
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