転職者たちの「今」

リーベルで転職した人たちは新たな舞台でどのようなキャリアストーリーを描いているのでしょうか。転職後の「今」に迫ります。

Web系ベンチャー

K.Kさん

プロ野球球団のITアナリストからHRテックに転身
「好き、面白い」を仕事にするキャリアの作り方

プロフィール
東京大学経済学部経営学科卒業。中堅コンサルティング会社を経てスカイライト コンサルティングに入社し、マーケティング系会社2社のサービス統合、大企業グループ会社の全社のシステム刷新を経験。その後、プロ野球球団に転職し、ITアナリストとして専門部署の立ち上げを担う。さらに、再度の転職を果たし、エンジニアに特化したHRテックの「Findy(ファインディ)」に入社。
クライアントに寄り添うスタイルで、プロジェクトへのアサインも自分の希望がかないやすい社風に好感し、転職先に選んだスカイライト コンサルティング。
企業の統合に伴うPMI(M&A後の統合プロセスとマネジメント)や、大企業グループのシステム刷新の企画に携わり、充実した日々を送っていた。
そんな時、打診されたプロ野球球団への転職。使命はIT化によって球団を強化することだ。転身してテクノロジーによる分析野球を導入し、チームは日本シリーズに進出できるほど強豪となった。
そして、さらなる活躍の場を求め、再転職でFindyへ。リーベルの支援を受けて転職したその後のキャリアの軌跡と、仕事や転職に対する考え、思いを語った。

舞い込んだプロ野球球団からのオファー

初めての転職に成功し、つかんだスカイライト コンサルティングへのキャリアチェンジ。新たなステージでの活躍を夢見て臨んだ舞台で待っていたのは、思いもよらぬ試練だった。

—— スカイライト コンサルティング(以下、スカイライト)に入社した直後のことを教えてください。

Kさん:入社して驚いたのが、非常に手厚い研修です。1か月の間、パートナーやシニアマネージャーなどが入れ替わり立ち替わり私に付き、「こういうプロジェクトでこのような状況の場合、どう打ち手を提案するか」などケース面接さながらの課題を与えられ、考えてはディスカッションする日々が続いたのです。実際に資料を作ったり、それを基にミーティングを重ねることもありました。そして、研修の最後の課題が、あるドラッグストアチェーンの成長戦略を1週間で考案することです。上司のメンターに好きなだけ質問をして良く、その代わり考えるのは一人という過酷なものでした。でき上がった企画は、役員全員の前で発表。こうした戦略を考えるのは初めてでしたから、プレゼンは全くうまくいきませんでした。
この研修はスカイライト独特のやり方で、仕事以上にきつい内容。実際、私も研修後の仕事の方が、楽に感じたほどです。

—— コンサルティング会社は、中を通す方、つまり社内の上司に企画や提案を納得させることが大変といわれています。その洗礼を最初に受けたということですね。

Kさん:はい。それからいよいよプロジェクトへのアサインとなります。私は前職で業務フローやシステムを構築してきた経験を生かせる仕事を希望し、望み通りの案件を与えられました。一つ目が、リアルの事業を得意とする会社とウェブ系が強い会社の業務を統合する案件でした。私はリアルに強い会社の担当で、まずクライアントの業務を徹底的にヒアリングし、起こした新しいフローをウェブ系の担当者にぶつけ、連携するにはこうした方がいいと提案する形で、一つひとつの細かい業務の統合を図っていきました。リアル系とウェブ系の担当者が対立した時には、間に入って落としどころを見つけ、先に進めていくのも私の役目。こうしたコンサルティングは自分が得意とするところで、早速自力を発揮できたわけです。統合も非常にうまく行き、好スタートを切ることができました。

—— スタートダッシュに成功し、その後は。

Kさん:2つ目のプロジェクトは内容がガラッと変わり、半官半民のグループ会社の全システムを刷新するもの。この案件ではまず状況を把握することが難題でした。紙の資料しか残ってなく、相手が半分国なので資料をもらうのにも時間が掛かり、このフェーズだけで2カ月も掛かってしまったのです。そして、資料が揃った時点でヒアリング。2週間に1回のペースで、毎回リングファイルに閉じた大量の資料を持参して、クライアントの会社に通う日々が続きました。議論を重ね、業務フローを作り、その上にシステムを設計していくことで、少しずつ未来図を描いていったのです。
計画のフェーズも一苦労でした。規模の大きいベンダーが3社いたので、とりまとめが大変だったのです。クライアントの担当者の方が巧みに会議を仕切り、何とか困難な局面を乗り切ることができましたが、結局企画が出来上がるだけで1年も掛かったのです。

—— その後は、RFPを作ってシステムを構築していくフェーズになります。

Kさん:そうなのですが、実はここで私のキャリアが重大な局面を迎えます。登録していた転職サイトから「プロ野球球団がITアナリストの人材を欲しがっている。行ってみる気はないか」と、思いもよらぬオファーが舞い込んだのです。私は無類の野球好きです。それに昨今、スポーツビジネスでコンサルタントやエンジニア出身者が活躍する事例が徐々に増えており、自分もその一員に加わるのは非常に魅力的なチャレンジでした。
ただ、スカイライトに入社してまだ1年ちょっとで、会社側への相談は不可欠。そこで、役員全員の前で、プロ野球球団に入るのがいかに自分のキャリアにとって重要なのかをプレゼンすることにしたのです。結果、熱意が通じ、役員の方々には「そういうことなら応援しよう」とエールを送っていただき、私はプロ野球球団という新たなキャリアへと突き進むことになったのです。

最下位のチームをIT化で強くする

スカイライト出身者は様々な業界で活躍しているが、Kさんもその一人となり、プロ野球球団に入社し、次の一歩を踏み出した。だが、その球団は最下位になることが多く、決して強いとは言えないチーム。さて、どうするか。

—— プロ野球球団への転職を果たし、全く畑が異なる業界でのキャリアがスタートしました。

Kさん:当時は最下位のシーズンも多く、リーグ戦で上位3位までが出場できるクライマックスシリーズへの進出も未経験のチーム。しかし、そんな球団が日本シリーズに行くまで強くなることにITが貢献できれば、他の球団も興味を示し、業界全体が変わるきっかけになると考えたのです。
最初に取り組んだのが、ボールの弾道を測定できる最新機器の活用を浸透させることです。バッターが打った後のボールの速度や打ち出しの角度などを計測でき、ピッチャーのボールの回転数や変化球が何センチ曲がったのかなどを測ることも可能なマシン。ですが、選手もコーチも何に役立つのか分からず、利用が進まない状況でした。その時のGMに「それでピッチャーが勝てるようになるのか」と言われたこともあります。

—— 数字を用いたアナリティクスはメジャーでもまだ数球団しか取り入れてなく、日本の事例はほぼ皆無。どのように浸透させていったのでしょう。

Kさん:方法論は前職と同じで、とにかく最初はヒアリングを徹底的に行うこと。例えば、主力の投手に「切れがいいボールとはどういうイメージか」「カーブを投げた時のボールの理想的な曲がり方はどうか」など、プロが持つ感覚を聞いて回ったのです。その上で、機器でボールの回転数や曲がり方を計測し、力のある投手の切れがいいボールと、調子が上がらない投手の悪いボールの回転数などを比較し、データで差異を明らかにしていきます。すると、今まで感覚だけで見てきた投球の良し悪しをデータで確認したり、分析することができることが分かり、そうなってくるとコーチががぜん興味を示すようになったのです。

—— 具体的にはどのような活用を?

Kさん:例えば、あるコーチに「あの投手は球数が100球を超えると球がへばってくる。球速は変わらないのだけど何かデータはないか」と聞かれ、計測してみると球の回転数が落ちていることが分かりました。データによって科学的な現状把握ができれば、原因を突き止める意識が高まり、対策を打つ案を考える道が開けます。コーチや選手にとって、最も大切な点は役立つかどうか。有用だと分かることで利用が広がり、先発で投げた投手などに翌日、「レポートをください」と依頼されるのも日常の光景となっていったのです。

—— 他の球団ではあまり見られないデータの計測と分析がいち早く始まったわけですね。

Kさん:球団には選手時代にメジャーで活躍したコーチが在籍しており、そのコーチは特に強い関心を示しました。若手にデータを見ることを積極的に促したり、見方や活用の方法を教育したりすることを率先して取り組んでくれたのです。その後も、バットにセンサーを取り付け、スイングを360度からバーチャルに可視化できるシステムなどが導入され、私はシステムの企画や開発の責任者として、チームのIT化を推進していったのです。

選手やコーチが本気でデータを使うチームに変貌

プロ野球球団のIT化という新しい仕事に打ち込む日々。データを見て勉強し、自ら改善していく選手も増えていった。バッターでもピッチャーでもデータを見るのが当たり前になり、習慣として根付いた。さてその結果、チームはどうなったか。

—— データの活用が浸透する中で、印象的な選手は?

Kさん:バッターで二軍時代からバットに付けたセンサーで取れるデータを、毎日見て、活用してくれている選手がいます。二軍のキャンプに私も帯同したのですが、練習が終わると、「映像とデータを見せてほしい」と毎晩私の部屋に来て、画像と数字をにらめっこして、改善策を考えるような熱心な選手でした。その甲斐もあって、シーズン前の紅白戦でホームランを打ち、一軍に昇格した後は代打の切り札として活躍。今では全試合に4番で出場するほど成長し、首位打者も獲得したのです。その選手には「Kさんのおかげでバッティングを向上させることができた」と言っていただき、本当に嬉しく思いました。

—— その他のIT化も積極的に取り組みました。

Kさん:ユーザーである選手にどんな機能やデータが欲しいか、直接ヒアリングして実装することも行っています。投手の球の回転数や打者の打った後の球の速度、打ち出し角度などのデータやグラフをスマホで一画面で確認できるようにしたのはその一例です。あるいは、コーチを含むチームスタッフ間のコミュニケーションではビジネスチャットツールの「slack(スラック)」の積極的な利用を推進してきました。
また、球団にはR&Dの部署が新たに開設され、今ではデータサイエンティストなど5〜6人が所属するようになっています。

—— 球団は強くなりましたか。

Kさん:結果として、チーム力は向上し、クライマックスシリーズだけでなく、日本シリーズにも出場する強豪チームに生まれ変わったのです。4位に沈んでしまったシーズンは「クライマックスに行けず、悔しい」と言えるまで、実力も気持ちもレベルが高くなっています。その結果に、ITは一定の役割を担ったといえるでしょう。きっかけを作ったのは自分かもしれませんが、選手やコーチ、エンジニア、関係者の方々の協力と本気で使っていこうとする努力が、奏功したのだと考えています。

HRテックでエンジニアが活躍できる社会を作る

プロ野球球団の強化に一役買った。もっと言えば、野球界のDXを実現した功労者の一人になることができた。キャリアとしては、この先もずっと球団を支えていく選択肢もあっただろう。だが、その道を進むことは避けた。どんな気持ちの変化があったのか。

—— 選手、コーチ、監督、球団から感謝され、そのままさらなるDXを仕掛けていく道もあったと思います。

Kさん:そうですが、私は再び転職して、次のステージに行くことを選びました。理由の一つは、私が球団でIT化の推進を担って5年が経ち、基本的な基盤は整ったと判断したからです。選手やコーチも自主的にデータを見るようになり、私がいなくても回るようになったと考えました。
もう一つが、他の業界のDXにも携わってみたいと思ったことです。これまでもいろいろな会社から誘いは受けていたのですが、そろそろ本気で考えてみようと動きました。転職活動で実際に書類を提出し、面接を受けたのが3社。グローバルの超大手企業、勢いのあるコンサル系ベンチャー、そして、起業して4年のHRテック系スタートアップの「Findy(ファインディ)」です。

—— 結果は3社とも合格。どの会社に入るべきか、リーベルのコンサルタントに相談したと聞いています。

Kさん:コンサルタントに言われたのは「年収などの条件よりも結局何がやりたいのかが重要」ということ。その助言を得て改めて考えて出した答えが、Findyに行くという選択でした。Findyはエンジニアに特化した採用支援を行っている会社で、加えて、エンジニアのパフォーマンスをAIで可視化して、個々を伸ばしたり、人を補充したり、配置を変えたりするなどの人と組織のコンサルティングサービスも手掛けています。
そのビジネスの発想に魅力を感じたのです。仕事柄、エンジニアの方と協業する機会は多いのですが、私は常々、エンジニアがやりたいように伸び伸びと作れば、必ず良いシステムができると考えています。一方、単に言われたことをやりがいも見出せずにこなしているだけだと、バグだらけの品質になりがちです。つまり、長期的な観点で、エンジニアが中心となって主体的に動いて世の中にサービスを提供していく仕組みをつくることが、業界にとっては最も重要なのです。

—— その重要な視点がFindyにはあると。

Kさん:そうです。エンジニアが活躍することが、ひいては世の中のためになると本気で考えている会社です。根本的にエンジニアに対するリスペクトがあるのだと思います。興味深いのが、同社がエンジニアのためになる製品やサービスを作っていると、フリーのエンジニアの方が「僕も手伝います」と手を差し伸べてくれることです。「自分はこういう取り組みが好きだから直してあげる」と、まるでウィキペディアに情報を書き込むように、ボランティア精神で協力してくれるのです。こうした意義深いプロジェクトに、私も力を発揮できたらと考えています。

—— ご自身のキャリアを振り返って何か言えることはありますか。

Kさん:職種や業界的に、私のキャリアには一貫性がありません。一つ言えるとすれば、目の前に現れた面白そうだと思うことを、素直に選んでやってきた結果です。ただし、その点と点はある思いでつながっているとも言えます。それは、ITのエンジニアリングと使い方が分からない人たちをうまくつないで、世の中を良くする取り組みをずっとやってきたということです。野球界も全くITが使われていない世界でした。そうした中で、データや数字を取り入れることで、様々な合理的な判断ができるようになり、皆のパフォーマンスが上がって良い組織になっていく形をつくることができた。野球のチームに留まらず、こうして様々な組織をDXで良くしていくことこそが、私がやりたかった仕事だと、はたと気づくことができたのです。

—— では、最後に転職を考えている人たちにメッセージをお願いします。

Kさん:自分が好きなこと、面白いと思うことを仕事に選ぶ。このひと言に尽きると思います。当たり前の話ですが、好きなこと、面白いと思うことやった方が最大限のパフォーマンスを発揮することができ、世の中のためになるからです。「好きなことが無い」という方も多いと思いますが、それは自分に制限を掛けているだけではないでしょうか。これが仕事になるはずはないと。しかし、実際、私は好きな野球で仕事を得ることができたのです。皆さんもぜひ好きなことを仕事にする観点で、キャリアを描いていただければと思います。

—— 好きなこと、面白いと思うことに突き進むのも一つのキャリアチェンジの方法ですね。非常に参考になりました。ありがとうございました。

ライター プロフィール

高橋 学(たかはし・まなぶ)
1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
◇主な著書
『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。
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