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転職成功者の声

「本当に今のままで良いのか」と自問し、30代後半で転職にチャレンジ 派遣SEから大手SI会社へのキャリアアップに成功 | 株式会社ISID-AO

プロフィール

関西の有名私立大学を卒業後、商品先物取引会社に就職し、営業職として勤務。4年後、中小のSI会社に転職し、派遣SEとしてのキャリアを歩み始める。8年以上勤務した後、リーベルの支援を受けて転職活動に取り組み、より規模が大きく、経験も積めるSI会社に転職。3年以上在籍した後、再度リーベルの支援で転職活動に挑み、ISID-AOの内定を獲得。

社会人としてのスタートは、商品先物取引会社の営業職だった。
だが、やりがいを見出すことができず、元社員の先輩の誘いを受け、エンジニアへと大胆にキャリアチェンジを図った。
新たに始まった派遣SEとしてのキャリア。8年以上在籍した後、より規模の大きなSI会社にリーベルの支援を受けて転職。前職では携れなかった上流工程を経験し、マネージャーにも昇格した。
ただ、会社の方針が派遣中心のビジネスに集中することになり、せっかく育てた後輩も他の現場に散り散りに。
もっとチームで仕事をしていきたい。その思いが日に日に強くなり、キャリアを切り開くために、再びリーベルと共に挑んだ転職活動。
当初は面接で不採用が続き、暗雲が立ち込める。しかし、あきらめず、“開発”ではなく、“管理”のスキルを活かせる職種の応募に方針転換。この決断が功を奏し、ISID-AOの内定を勝ち取った。
面接官はどのような点を評価して採用を決めたのか。30代後半で挑んだ転職活動の一部始終を聞いた。

営業からSEへ思い切ったキャリアチェンジ

大学卒業後の就職先は、商品先物取引会社の営業職。当時、将来の目標が会社を興すことだったため、営業を通じて知り合う経営者から、起業して成功する秘訣を吸収することが目的だった。

—— 商品先物取引の営業職から社会人としてのキャリアが始まりました。

Nさん:その頃、漠然とですが、将来は会社を興したいと考えていました。そこで思いついたのが、経営者を相手にする仕事に就くこと。商品先物取引の営業職であれば、個人資産が多い経営者と出会う機会が多いと考え、その方々から雑談の中で起業して成功する秘訣を聞きたいと思ったのがこの仕事を選んだ理由です。しかし、業務は思いのほかハードで、経営者からノウハウを聞くことも少なかったのが実情。営業成績は可もなく不可もなくといった状況で、目的もやりがいも見失ってしまいました。そんな時、一足先に会社を辞めて転職していた元社員の先輩から「うちの会社に来て、エンジニアにならないか」と誘われ、その話に乗って転職。そこからエンジニアとしてのキャリアが始まったのです。

—— 営業からエンジニアへ、思い切ったキャリアチェンジです。

Nさん:転職先は、様々な業種のプロジェクトに単発でエンジニアを派遣するSES(システムエンジニアリングサービス)の会社でした。初心者でも大丈夫と言われ、新たにITの知識を身に付け、顧客に貢献することにやりがいを見出せるのではないかと思ったのです。ただし、研修があるわけでもなく、現場で仕事を覚えていくのが基本。仕事のやり方も聞かなければ教えてもらえず、当初は必死に食らいついていったというのが正直なところです。

—— キャッチアップするために注意していた点は?

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Nさん:単に言われた通りにプログラムを書いているだけでは成長は見込めません。そこで、常に意識していたのは、システム全体を俯瞰すること。そうすれば、今書いているプログラムがなぜ必要なのか、どう動いて全体に作用するのかが見えてきます。そうやって一つ一つの作業を深く理解して、腹落ちさせて終えるように努力。結果、派遣先のプロジェクトリーダーやマネージャーに気に入られ、次の案件でも呼ばれるようになり、繰り返し経験したパッケージの導入では自信を持って仕事に当たれるようになりました。オフショア開発の長期プロジェクトにも抜擢され、現地担当者とのやり取り、進捗管理なども卒なくこなし、社内外で一定の評価を得られるようになったのです。

—— そうした中、転職を決意された理由は?

Nさん:8年以上の在籍期間中に15件のプロジェクトを経験し、場数を踏むには良い会社でした。ですが、成長スピードを上げるために、もっと上流工程を経験したいと考えるようになりました。加えて、リーマンショック後に案件が減り、派遣先が見つからず社内待機も経験。当時の会社は社員数が30名程度で規模が小さく、将来性に不安も覚えました。自分の未来を切り拓くために、転職しようと決断したのです。

苦戦する転職活動で、チャレンジレベルの企業から内定

転職を志し、ネットで人材紹介会社を検索。複数の会社がヒットする中、目に留まったのがリーベルだった。面接で苦戦が続く中、初めての転職活動をどのように打開したのだろうか。

—— 先輩からの誘いで転職した前回とは異なり、書類を応募して面接を受ける初めての本格的な転職活動を行うことになりました。

Nさん:まずはネット検索で探した人材紹介会社との面談に臨みました。ある人材コンサルタントは、私が数多く経験していたパッケージ製品の導入を得意とする会社への応募を強力にプッシュ。しかし、一つのパッケージに特化してこの先も経験を積むことは、他の技術が身に付かず、リスクにもなります。一方、リーベルは私の将来的なキャリアアップも考慮し、様々な経験ができる企業を提案。最終的にリーベルに支援を依頼したのは、転職者のキャリアをしっかり考えてくれている姿勢に好感したからです。

—— 転職活動の結果は?

Nさん:リーベルの担当者は私の技術や経験を考慮し、「妥当なラインの会社」「少しレベルが上でチャレンジを要する会社」「運が良ければ受かる会社」の3つのレベルに分けて転職先を提案。それを受けてSI会社を中心に10数社に応募しました。ですが、パッケージの導入が中心の私の経験では技術不足が否めず、書類選考や面接で断られることが続きました。当時33歳だった私の年齢から考えれば、やむを得ないことだと思います。面接を重ねるたびに、経験不足であることを痛感させられたのです。

—— 厳しい転職活動になりましたが、その後はどのような展開に?

Nさん:タイミング良く中途採用に積極的に力を入れている応募先があり、その会社から内定を得ることができたのです。そこは私にとってチャレンジレベルの会社だったので、最良の結果。規模が大きく、上流工程の経験を積むことができそうであり、私は将来の扉を開くカギを得た思いでした。

—— 転職後、実際の業務内容はどうでしたか?

Nさん:保険会社向けのシステム開発に強い会社で、要件定義から設計、開発、テスト、リリース、保守対応まで、上流、下流のシステム導入に一貫して携わるという、今までの私のキャリアにはない経験を積むことができたのです。サブリーダーやリーダーとして、主に開発要員のマネジメントを行う立場になったことで、管理系の仕事のノウハウも身に付けられました。また、4社のシステム導入プロジェクトを同時に兼任し、各案件が遅延しないように目配りしながらフォローする難しい管理も経験。3年以上在籍する中で、管理系の仕事の進め方や考え方は、自分の中である程度確立することができたと思っています。

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不採用続きの局面を打開した路線変更

上流工程や管理系の仕事の経験を積むことができ、IT人材としての価値を高めることに成功した。芽生えてきたのは、「もっと上を目指したい」という気持ち。Nさんは、その手段として再び“転職”のカードを切ることになる。

—— ご自身が望む経験を積むことができていたと思いますが、再度転職を決断したのはなぜですか?

Nさん:私の思いと合致しなくなったのが転職を思い立った理由です。私は自分で育てたチームによって、様々なプロジェクトに取り組んでいく働き方に関心がありました。実際、管理職となり、後輩を何人も育ててきました。しかし、途中で会社が方針を転換。私が入社した当時は受託開発を増やそうとか新しいことをどんどんやっていこうと言っていたのですが、ある時点からSESに専念することになってしまい、せっかく育てた後輩も散り散りになってしまいました。自分の目指すキャリアを実現するには、今までの派遣SEの働き方に区切りをつけ、自社でサービスやシステムを提供している会社に転職するしかない。そう考えて、再びリーベルに支援を依頼することにしたのです。

—— リーベルとはどのような話し合いをされましたか?

Nさん:前回と同様、リーベルが「妥当」「チャレンジ」「運が良ければ」の3つのレベルで候補となる企業を提案。前回と違ったのは、以前はチャレンジするレベルの企業が「妥当」に、「運が良ければ」が「チャレンジ」に変わった点です。ゼロベースから客先で要件定義を行ったり、システムを一気通貫で開発するなど、経験がプラスオンされることで、応募先のレベルも上がったわけです。

—— リーベルとの二度目の転職活動はどのように進みましたか?

Nさん:それが、思いのほか厳しく、複数のSI会社に応募したのですが、書類や面接で断られることの連続でした。というのも、以前より経験の幅は広がっていたのですが、直前でやっていたのは開発系ではなく、管理系の仕事が大半。開発からずっと離れていることがマイナス点となり、落とされるケースが多くなってしまったのです。

—— 転職活動が長期化し、あきらめようとは思わなかったのですか?

Nさん:それはないです。もっと上を目指したい、どうしても転職したいという気持ちが強かったからだと思います。リーベルの担当者に相談すると、提案されたのは路線変更。それまで開発系の職種を狙っていたのを、管理系のポジションに切り替え、再度応募する戦略に切り替えたのです。

—— 結果はいかがでしたか?

Nさん:書類選考で落ちることがなくなり、一次面接をクリアする会社も出てきました。路線変更は成功したわけです。そのうちの一社がISID-AO。面接では、「チームを成長させて、会社に貢献したい」「社内の他のチーム、社外の他の会社との交渉や折衝は問題なく行える自信がある」と、アピールしました。ISID-AO側は、「前職での管理系の仕事は数件であり、若干経験は足りないかもしれない。しかし、考え方がしっかりしており、その気持ちがあればやっていける」と評価。自分の思いを強く伝えることによって経験不足をカバーし、面接官の心をつかむことにつながったと思っています。

転職成功の要因となったリーベルからの現実的な助言

最終的にISID-AOともう一社の内定を獲得。熟慮の末、ISID-AOへの転職を決めた。選択した根拠は何だったのだろうか。転職成功のポイントと共に、最後に聞いてみた。

—— 2社から内定が出たようですが、ISID-AOを選んだ理由は?

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Nさん:ISID-AOはISIDグループの中でも自社パッケージとインフラを強みとする会社であり、導入からその後の保守まで一貫してできる環境を持ちます。その中でも私が応募したのはアプリケーションの保守・運用をメインとする部門。顧客との付き合いは、開発後の保守・運用フェーズの方が圧倒的に長く、そこでの対応こそが非常に重要だと私は考えています。実際に使うと、ユーザーからは様々な要望が出てくるでしょう。折衝や交渉も多くなります。言ってみれば、保守・運用フェーズから、顧客との本当の意味での付き合いや会話が始まると思っています。確かに開発フェーズはシステムの花形。しかし、作った後の使い勝手を支えるのは保守・運用部隊。システムに長く携わる中で、私はできたものをブラッシュアップする方が向いていると判断し、それをチームとして当たることができるISID-AOで自分の思いを形にしたいと考えたのです。

—— IT業界で自分の生きる道を見つけたわけですね。

Nさん:それに加えて、面接後、ISID-AO側の採用の判断が早いことにも好感。一次面接では朝受けた面接の結果が昼に、最終の二次面接では終わった直後に内定を告げられました。私に対する期待感を感じ取ることができたことが背中を押した要因です。そして、品川にあるISID-AOのオフィスには自宅から電車で一本のアクセスの良さで、健康面を気遣う家族が終業後に家に帰りやすい点を評価したことも、決め手となったのです。

—— 家族の意見を聞くのも転職活動では重要ですね。さて、転職活動を振り返って、成功の要因は何だと思いますか?

Nさん:内定が出ない期間が続くと、あきらめてしまう人も多いと聞きます。私も当初不採用が続きました。ですが、そこであきらめず、自分のキャリアは自分で切り開くという強い気持ちで粘り強く転職活動を継続したことが、結果を得られたポイントだと思っています。
そしてもう一つが、リーベルが常に現実的な視点でアドバイスをくれたことです。開発系の職種で厳しい結果が続いた時、そのまま方針を変えない選択もあったでしょう。けれども、リーベルは管理系の職種に変えることを助言。これが結果につながったわけです。

—— 転職者に寄り添って考えるリーベルだからこそ、状況に応じて最適な提案ができるのでしょう。では、これから転職をしようかどうか迷っている人にアドバイスを。

Nさん:皆さんは当然のことながら、目の前にある仕事や生活に追われる毎日を送っていると思います。将来のことを考える余裕はないかもしれない。しかし、一度立ち止まり、3年後、5年後、10年後のことを考えて、「本当に今のままで良いのか」と自問して生きているかどうかで、その先の人生が決まると考えています。そこで、自分が活躍できている状況が思い浮かぶのであれば会社に残って頑張るべきだし、やりがいを持って働く姿がイメージできないのであれば、転職が選択肢になります。
私の場合、30代後半に差し掛かり、転職できるかどうかは不透明でしたが、今回はチャレンジする道を選び、結果を得ました。年齢的な問題があっても、まだやりたいことがある、未来を切り拓きたいという思いがあるなら、逃げずに挑むことも選択の一つでしょう。

—— 今のままで良いのかを日々問い続け、必要があれば自ら動く。思いが強ければ結果もついてくることを教えていただきました。ありがとうございました。

ライター プロフィール

高橋 学(たかはし・まなぶ)

1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。

◇主な著書
『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。

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